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スイーツの処方

スイーツといえば、お茶の時間が思い浮かびます。

お茶の時間って、一日のうちで、心と精神を統制するための大事な役割を有しています。何事に関しても、そうですが、何かに集中することは、とても大切です。お茶の時間は、集中の時間の合間にある空白のようだけれども、空白ながらも、人が、ゆったりと精神を休めながら、落ち着かせて英気を養うには欠かすことのできないものとなっています。

また、本来、お茶が主体で、スイーツは、そのお供に過ぎないのですが、甘い味わいが、疲れを癒し、ポジティブな気持ちを引き出すのに貢献します。

そんなスイーツを自分のために、上手に処方するのは、とっても有意義なことであるはず。洋菓子、和菓子、駄菓子など、スイーツにも様々なものがありますが、その甘味の程度や種類に合わせて、お茶をいただきましょう。スイーツの色・形を楽しむのも、心の安らぎにつながります。スイーツのもつイメージには、肯定的な要素しかないため、人は、一瞬、無条件の安らぎに戻ることができるのです。また、ゆっくりとした時間の流れを楽しむのも、スイーツに必須の作法です。この時間に、精神は沈静し、体の疲れも癒すことが出来ます。

疲れている時は、甘いものが欲しくなることがよくありますが、洋菓子ならば、ギュッツ甘さの凝縮したザッハトルテにコーヒーをブラックで、和菓子ならば、甘い餡子の詰まった最中に緑茶などをいただくのが、良い取り合わせであるでしょう。何か、頑張った時には、少し高級なものを用意して、自分にご褒美としてあげるのもよいかもしれません。

クラシック音楽の効用

日々、慌ただしい生活を送っていても、音楽は、そういった日常のごたごたから一瞬のうちに、聴く者を全く異なる世界に連れて行ってくれる、最高の親友であるといえるでしょう。音楽は、おそらく、三次元の絵画に相当するもの、いわば、空間のアートであるように思うのですが、それだけに、絵画のように一瞬で見渡せるわけでもなく、時間の流れという制約を受けています。しかし、一方で、一瞬のうちに裏まで見渡すことはできない、視覚の情報とは異なり、聴覚は、何らかの意味で三次元的、すなわち、全体的、という属性を有しているようにも思われるのです。

このように、音楽は、私たち人間が、その存在を完全に把握することのできない、非常に高度な作用であるにもかかわらず、日常的に、手軽に楽しむことが出来るという、極めて贅沢な品であるように思います。音楽のエトス(時代精神)やそこに込められた作者のスピリットなどが、空間に漂いつつ、どのような波動を形成しているのだろうと、想像するだけで、その音楽が、単なる楽曲を超えた、途轍もない代物のように思えて、わくわくします。

私は、バッハの大ファンなのですが、奏でられる音の層が相互に響き合う、その響き具合までも、緻密に検討し尽したのではと思われる程の、素晴らしい音の構成や、何よりも、神の崇高な世界を垣間見せてくれるような、音楽に込められた彼自身のスピリットが、聴く度に、心に響き渡ります。

而して、感動できるクラシック音楽に巡り合うことが、私の人生にとっての楽しみの一つとなっているのです。

やる気――物事に打ち込めない、どうにもやる気がでない、もっとはつらつと頑張りたいと思っている人

やる気が出ないとき、私たちは、その倦怠感の渦に捕らわれてしまい、なかなか、客観的に自己を見つめ、そこから抜け出るために、別の自分を呼びさますことができないものです。しかし、そのような場合でも、少なくとも、「やる気が出ない」ということは、わかるものなのです。責任感の強い人であれば、やる気がでないことで、何らかの目標に達成できていないことに落ち込み、うつ状態になってしまうことすらあります。そうなると、自責の念に襲われ、物事が捗らないにもかかわらず、非常な重圧感に苛まれるという事態に陥ってしまうのです。そうなると、本来の自分よりも、より状態の悪い自分に対処しなくてはならなくなります。

そこで、やる気が出ず、それによる落ち込みが激しいとき、まず、自分の気持ちの状態を少しでも高揚させる必要があります。そのためにできることとしては、そのように自分のこころを呪縛している、一切の日常の束縛を忘れることにより、抑圧された精神状態の回復を図ることが先決であると言えるでしょう。

その場合でも、義務を果たしていないことによる罪悪感を完全に払拭することは出来ないかもしれません。しかし、日常や時を忘れ、ただ、空白の精神と諦めのうちに、ひたすら彷徨うことで、気分のモードが徐々に切り替わってくるはずです。そして、つい先程まで、自分が極度の落ち込みに押し潰されそうであったということを客観的に省みることができ、今、自分がいる空白の状態をゆとりをもって楽しめるようになった時点で、うつ状態から脱却できたと考えてよいでしょう。

よくオタクは気持ち悪いなんて言われますが、むしろやる気が出ない人からしたら羨ましい存在であり、それは幸せな人たちなんだと気づければ気は楽になります。もそも何かにあれだけのめり込めるというのは貴重な経験で、そういったものがないからこそ打ち込めないわけです。

自分が好きなものなら他人の目を気にしない。そのスタイルは、何かに打ち込めない、覇気がない人が学ぶべきものがあります。

もちろん、そういった趣味事は一気に冷めることもあります。でも、だからといってそれが無駄になりません。その経験が次へ打ち込む何かのエネルギーの空きとなるからです。

ジャニーズグッズの買取価値

上記はジャニオタなんて言われる人が所有しているグッズの希少性についてまとめてあるサイトですが、このように没頭している人もいれば冷めて売却する人も大勢いるということ。

自分が感じている自分だけの日常は、本当に自分だけのものでちっぽけです。打ち込めるものがないというのもちっぽけな話。それはそれでいいということ。世の中はもっといろいろなことで満ちています。他人事のまま視野を広げてみてはどうでしょうか?